1『フォートアリントンにて』



 状態は留まらない。
 常にゆらゆらと揺れ動き、ふとした拍子に劇的に変わる。
 そして新たな状態が始まる。

 果実はいつまでも枝に付いていない。
 刻一刻と熟れていき、いつしか腐り、風が吹けば地に落ちる。
 そして種子から新たな樹が生まれる。

 物語はずっとは続かない。
 聞く者達の気持ちを連れて展開し、何かを変えていつかは終わる。
 そしてまた新たな物語が紡がれる。



「ふう……」と、ハルイラ=カンファータ十八世は執務に臨むに当たって、張り詰めていた緊張を緩め、大きく息をついた。
 今となっては見るのも嫌な書類が山と積まれた執務机に背を向け、背後にあった窓から空を仰ぐ。

(ファトルエルの大会からもう一週間か……)

 そんな事を考えながらしばらくぼうっとしていると、執務室のドアがノックされた。
 ハルイラはくるりと向きを変え、執務机の正面にあるドアに注目する。
 少し間を置き、「失礼します、陛下」と、声を掛けながら入ってきたのはカンファータ宰相・バスタ=カノールだ。
 見た目の歳はハルイラと同じくらいだが、がっしりとした体躯の国王に比べて遥かに小柄、痩せぎすで年寄りくさいとも言える落ちついた雰囲気を持っている。
 緑色の髪を持っているが、眼の色は眼が細すぎて確認出来ない。その上にある白い眉毛が特徴的である。

「今回の大会に関する書類には目を通されましたか?」

 そう尋ねるバスタにハルイラは苦い顔をして頷いた。

「ああ、もう一週間は書類を見ずとも執務を怠けているとは感じないであろうな」

 このところハルイラは、ファトルエルの決闘大会の巻き添えで壊れた建物等の修復などに忙殺されていた。
 これはいつもの事であったので大会前からある程度覚悟していたのだが、今回は更に大災厄による被害もあったので仕事が前回の三倍に増えた。
 ある者達の活躍により、通常なら壊滅的な打撃を与える大災厄を寸前で退けられたものの、やはり被害は少なくなかった。
 クリーチャーの大軍によって、砂を固めただけの粗末なレンガで出来た通常家屋はかなりの戸数が倒壊させられていたのである。
 救援物資を送ろうにも、ファトルエルは砂漠の真ん中という厄介な場所にあるのでいろいろ面倒な手続きをしなくてはならなかったのだ。

「それでも幸運に感謝していただかなくては。もしまともに大災厄がファトルエルにぶつかったならば、もっと書類は増えていたでしょうし、もとより書類に目を通す事さえも出来なかったかもしれません」
「うむ……そうだな」

 ハルイラもバスタもファトルエルの決闘大会の主催者として、あのファトルエルにいた当事者だった。
 だからもし大災厄が退けられなければ命を失っていたかも知れないのだ。
 そんな被害を生み出す大災厄の襲来で死者ゼロという数字はまさに奇跡と幸運の産物と言っても過言ではない。

「御安心下さい、陛下。明日は完全な休養日、そして明後日も書類に用はありません」
「それはありがたいことだ」

 ハルイラには月に一回、何の執務もない完全休養日が設けられている。それは宰相であるバスタが大切な国王陛下を過労で壊さないようにと制定したものだ。
 しかし、国王という本来寝ている暇すら見付け難い立場の中、そうやって一ヶ月に一日でも休養日がとれるのは、バスタが巧みにハルイラの予定を組んでいるからである。
 そんなバスタにハルイラは心の内で深く感謝し、バスタあっての自分であると、程よく謙虚な気持ちにもなれている。

「そこまで喜ばれますと、私としてはいささか言いにくくなりますな」と、バスタは国王の表情を伺いながら言った。
 その様子を見てハルイラは喜びに弛んだ表情を少し引き攣らせる。

「……構わん、言うがよい」
「明後日の執務には確かに書類は関係しませんが、フォートアリントンにて一年に一度の三大国による定例国際会議がございます」

 その答えを聞いてハルイラは引き攣らせていた顔を更に引き攣らせた。
 そして仕事が終わった時にしたものより遥かに深いため息をついた。

「今年もあの女達に会わなければならないのか……」
「御同情申し上げます、陛下」

 淡々と言ったバスタをハルイラはじろりと睨んだ。

「そなた、心の内で密かに楽しんでおるのではあるまいな?」
「可能性は否定しません」

 バスタはしれっと答えた。


   *****************************


 魔法が力を大きく支配するこの世界は三つの大きな国によってその領土が分けられている。
 北を十二時とした時計で言うと、十時から二時までを支配するのは“孤高なる国”と呼ばれる『ウォンリルグ』。
 二時から六時までを支配するのは“平安なる国”と呼ばれる『カンファータ』。
 そして残る六時から十時までを領土としているのは“高潔なる国”と呼ばれる『エンペルリース』だ。
 その外側や内側にいくつか小さな国は点在しているが、この三国に比べると力も領土も小さく、どの国も三大国の内、どれかの属国として存在している事実は否めない。

 そして時計の針の軸にあたる三国を分ける境界線、もとい境界点である『フォートアリントン』。この都市だけは例外的にどこの国家にも属していないので“自由都市”と呼ばれている。

 三国の間では平等な関係を保つ為に、国間のやり取りで一方の国を訪問したり、招いたりする事は禁止されている。
 お互いその中間点に位置するフォートアリントンまで出向くのが慣例となっているのである。

 フォートアリントンは正三角形をした街で、その周りを高い壁に囲まれている。
 その三角形の頂点にあたるところは、それぞれ三大国に繋がる大きな門で、それぞれ『ウォンリルグ大門』『カンファータ大門』『エンペルリース大門』と呼ばれ、関所の役割も果たしているのだ。

 そしてその中心にある逆三角形をした大きな建物が『フォートアリントン国際会議所』である。国を跨がる様々な問題の解決において必ず用いられる場だ。
 かの有名な“全世界による魔法についての使用制限条約”が締結されたのもここである。
 ここでは常時、各国から派遣された人間達が国間のトラブルの対処に走り回り、摩擦が少なくなるよう、よりよい国際法案を日夜生み出し続けている。

 内部の真ん中には三大国による国際会議専用の会議室が設けられ、三角形の各辺の真ん中には三大国のそれぞれの首都に繋がる移動用魔法陣がある。
 そして今、カンファータの王都『フリーバル』に繋がる魔法陣が輝き、カンファータ国王ハルイラ=カンファータ十八世以下四名が到着した。
 供としてついてきたのは宰相・バスタ=カノール、外交大臣・バシル=クラシー、そして今回のファトルエルの決闘大会で死亡してしまったシノン=タークスの後継者として魔導騎士団長に就任したクルラス=シリーフの三名だ。
 三大国による国際会議専用の会議室には一国につき四名分の席が設けられており、そこに座る四名が国の代表としてみなされる。

「フォートアリントンへようこそ、カンファータ王国代表の皆様」

 一行が到着する前から魔法陣の前に立っていた白い制服の男がそう言って恭しく頭を下げた。
 そしてゆっくりと頭を上げて続ける。

「エンペルリース代表の皆様が既に会議室でお待ちですので、このまま会議室へと御案内させていただきます」

 案内と言ってもただ先頭に立って歩くだけで、就任したばかりでここに来るのは初めてであるクルラスを除いた三名はここから会議室までどう行けばいいのかは知っていた。
 魔法陣のある部屋から建物の中心部に向かって伸びる廊下を真直ぐに行けばいいので初めてでも話に聞いていれば迷う心配はいらない。

 建物の内部はすっきりとした白地の壁に整えられており、埃だらけのファトルエルとは違って清楚な雰囲気になっている。
 しかし、扉一枚くぐった会議室の中は透き通るような青を基調とした装飾で、四階建てのこの建物を貫く吹き抜けになっており、その天井の高さには何度来ても圧倒される。
 大聖堂を彷佛とさせる設計は、ここで行われる会議には厳粛な気持ちをもって臨んで欲しいという気持ちが込められているのだ。

 建物と同じ正三角形をした会議室にはやはり三角形をした会議机が配置されておりその頭上にはフワフワとこの星の模型が地転をしながら浮いている。
 三角形の会議机の一辺に四席ずつ置かれていた。
 そして左手の辺の方を見ると既に座って待っている人達がいた。
 先程まで一緒にいた案内係の男が言っていたエンペルリース代表の一行だろう。“高潔なる国”と呼ばれるだけあって、エンペルリースの一行は皆揃って高貴な雰囲気を纏った人間達だ。
 中でも目立つのは大きな衣服に身を包み、さらに悪趣味にならない程度に宝石をちりばめられている年輩の女性だろうか、上品且つ不適な微笑みを口元に浮かべながら、会議室に入って来るカンファータ一行を眺めている。
 エンペルファータの一行とはまるで面識のないクルラスでもその女性がエンペルリースの皇帝・フェルヴァーナ=エンペルリース三十一世であることはすぐに分かった。

「丁度正午ね。遅れるのは三流のする事、早すぎるのは二流……一流ともなれば常に時間とともに姿を表す。……貴方は一流よ、カンファータ国王陛下」
「いやいや、エンペルリース皇帝陛下。貴女がたには恐れ入るよ。私がどれだけ早くこようとしても貴女がたより早くこの会議室に入った事がない」

 苦笑をしながらそう答えてハルイラは椅子に着いた。
 その隣にバスタが座り、続いて残りの二人が座る。

「先日かの有名なファトルエルの決闘大会が行われたと聞いたわ。如何だったかしら?」
「……まあ、盛況だった」
「大災厄に襲われて盛況だった、なんて控えめな表現をなさるのね」

 もともと引き攣り気味だったハルイラの表情がさらに堅くなる。その周りの人間もこのやり取りに苦笑していた。
 エンペルリースの女帝の丁寧でいて、からかうような言動はあまりにも有名である。彼女を相手にしてまともに渡り合える人間はハルイラの知る限りたった二人しかいない。

 そこに、一人の若い男が入ってきた。元々長身のハルイラよりさらに高い長身で会議室と同じ青い外套を纏い、整った顔立ちの口元には柔らかな笑みを浮かべ、見るからに友好的な雰囲気を纏った男だ。
 “自由都市”フォートアリントンの市長・ルナイト=シェンクランドだ。三大国による国際会議が開かれる際は彼が会議の司会進行を務める。
 市長というあまり冴えない役職名はあるが、ことフォートアリントンという地域の中に限ってはハルイラ達三大国の主達と対等以上の権力を持っている。

「皆さんこんにちは。遠いところをわざわざ出向いて下さって有り難うございます」
「どうせ、移動用魔法陣を使って一瞬で着けるのだから、そんな丁寧にお礼を言わなくてもよろしくてよ、ルナイトさん」
「それでも皆さんが貴重な時間を割いて下さっているわけですから」

 そう言って、ルナイトはフェルヴァーナに微笑みかけた。その微笑みに彼女はそれ以上言葉を重ねなかった。
 彼女の言葉で終わらない会話は珍しい。
 ハルイラが知っているエンペルリースの女帝に適う人物の一人はこのルナイトなのだ。

「そう言えばウォンリルグ代表はまだ到着されていないのか?」
「ええ、今移動用魔法陣を使ってあちらの方に迎えをやらせているのですが……」

 そう答えながらルナイトが会議室の扉をちらりと見遣る。
 その視線に答えるように、扉が勢い良く開かれ、白い制服の職員が血相を変えて駆け込んできた。

「ウォンリルグ代表は到着しましたか?」
「いや、ウォンリルグに繋がる魔法陣から迎えに行こうとしたんですけど、その……行けなくて……」
「もう少し落ち着いて説明していただけると非常にありがたいわね」

 職員のあまりの慌てぶりを見て、フェルヴァーナが呆れたようにため息をつく。

「つまり、魔法陣が使えなかったと?」

 ルナイトの問いにその職員は言葉を忘れてしまったかのようにコクコクと頷いた。すると彼は今までの柔和な笑顔を引っ込めて真剣な表情で俯いた。

 それも当然の話だった。
 各国とこのフォートアリントンを繋ぐ魔法陣が使えなくなる可能性は主に二つ、魔法陣の封印か破壊である。
 封印、破壊をする魔法陣はフォートアリントン側かウォンリルグ側、どちらか一つでいい。
 こちらから魔法陣に何かをすることはないので、あちら側から魔法陣を封印するか破壊するかしたことになる。
 その行為は三大国による定例国際会議の参加拒否の意思表明にとなり、ひいては三大国の関係を決定付けている“三大国協商”からの脱退を意味している。
 それは、ここ百年間続いてきた世界秩序の崩壊に繋がるのだ。

「折角来ていただいた皆さんには申し訳ないのですが予定していた会議は中止にしましょう。直ちにこちらからウォンリルグに使者を送り、どういうつもりなのかを尋ねます。
 事情を解明した上でもう一度皆さんを招集し、この問題に着いての対策会議を開きたいと思います。単なる事故かもしれませんからね。いや、そうであって欲しいものです」

 ルナイトの言葉に全員が静かに席を立って会議室を去っていく。それぞれの表情は事の重大さを十分に理解し、沈痛なものとなっていた。
 会議室を出てフリーバルへ繋がる魔法陣に向かうハルイラをフェルヴァーナが呼び止めた。

「今回の事だけれど、貴方ならどうお考えになる?」
「希望は常に小さなものだ。十中八九事故ではない。貴女といい、マザー・ツァルアリータの考えといい、全く私は驚かされるばかりだ。母上も私を女に生んで下さればよかったのに」と、ハルイラは苛立ちを含んだ口調で答えた。

 ここ百年来、国の主には女性が就くという伝統がある。
 かつて男の王ばかりだった世界には血なまぐさい戦が絶えなかった。
 百年前に集結し、今の秩序を作った大戦後、三大国を筆頭に女性を国の主に就かせる国が増加して行き、今ではほとんど常識と化している。
 ハルイラの場合、先代カンファータ女王の子供はたまたま彼以外に生まれなかったので、彼しか国王のなり手がいなかったのだ。

「まあ、乱暴な発言だこと。そう思うなら引退して娘さんにでもお継がせになればいいでしょうに。……たしかお持ちでしたよね、娘さん。それとも、そうしたくても出来ない事情でもお持ちなのかしら?」
「うっ……」

 フェルヴァーナの発言にハルイラは何故か顔を歪めた。
 その反応を見て彼女はにやっと笑う。事情が分かっていてそういう話を向けてきたのだ。
 はっきりいってタチが悪い。

「なんにせよ、いつウォンリルグが攻めてくるか分からない現状……魔導研究所の軍事部門に通達を出して新しい魔導兵器の開発を急がせた方がよろしいのかもしれないわね」
「確かに。あまり気は進まないがね」
「ではわたくしの方から通達は出させてもらいましょう」

 それが本当の用件だったのか、ハルイラと向かい合って話していたフェルヴァーナがすっと離れた。
 背を向けかける彼女にハルイラが声を掛ける。

「済まないな」
「いえいえその代わり、追加する研究予算の方はそちらにお任せして構いませんわね」
「ぐっ……」と、ハルイラはまた言葉をなくし、顔を引き攣らせた。



 ルナイトはひとり会議室に残っていた。
 真剣な表情で会議室の上で回る星の模型を眺めている。

「ここ百年停滞していた歴史が再び動き出す……か。魔導文明も既に最盛期はとうに過ぎた。……戦いは避けられても今までの状態にはもう戻れまい。世界よ、お前はこれからどう姿を変える……?」

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